大阪地方裁判所 昭和33年(ワ)1696号 判決 1961年4月27日
原告
村瀬三喜造
被告
三全タクシー株式会社 外一名
主文
被告等は原告に対し連帯して金百二十万二千七百九十六円及び被告三全タクシー株式会社は之に対する昭和三十三年四月二十二日より、被告後藤弘志は之に対する昭和三十三年四月二十一日より夫々完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は之を五分し、その四を被告等の連帯負担とし、その一を原告の負担とする。
この判決は原告に於て被告等に対し各金十五万円の担保を供するときは仮に執行することが出来る。
事実
原告訴訟代理人は、被告等は各自原告に対し金百五十九万六千円及び之に対する訴状送達の翌日より完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告等の負担とするとの判決並びに担保を条件とする仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
一、原告は、昭和十五年以降訴外株式会社小林紙製品工業所で活字印刷、機械操縦工として勤務しているもので、被告三全タクシー株式会社は旅客運送を業とし、被告後藤弘志は被告会社の営業用乗用車(通称タクシー)の運転手として雇傭されているものである。
二、原告は、昭和三十二年八月一日午後九時四十分頃訴外大阪市福島区北三丁目一九八番地天竜薬局より薬品を購入して帰宅すべく、大阪市福島区鷺洲本通り一丁目四十九番地先十字路を南から北へ幅員十六米の道路を横断して残り一米で横断し了える際に、右道路を西より東へ被告後藤の操縦する被告会社所有の中型乗用四輪自動車(大五い三二七五号)が疾走し来り、該自動車の前部が原告の左腰、左足に激突して原告を道路上に突飛ばしたために、原告は道路上に転倒し頭部を強打し、頭蓋内出血骨盤骨折、左膝関節骨折の大重傷を蒙り、附近の済生会中津病院に担ぎ込まれ、爾来同病院にて治療に専念し、漸く昭和三十二年十二月三十一日退院することを得たのであるが、引続き相当期間右病院に自動車で通院して治療に専念した。
原告は斯様に治療に専念しているが、左膝関節の屈曲に障害を生じ、僅かに歩行し得る状態に回復したのみで用便も寝起きも一人で出来ない次第であり、且つ頭部強打のため脳神経系統にも障害を生じ、最早原告は何等の労務に服することも出来ない廃人同様の悲惨な生活を続けている。
三、惟うに、斯かる自動車運転手に於ては常に疾走中前方の注視に専念すると共に、非常の場合に制動及び方向転換を機敏に執る可く、特に十字路に於ては徐行する等最大の注意を払つて交通事故の防止に努める可き義務の存することは論ずる迄もない。殊に、本件道路は幅員も広く且つ当時疾走車輛も極めて少なく前方見透し良好なる地点であるから、若しも本件に於て被告後藤が右義務を誠実に履行し且つ被告会社が被用者に対する選任監督につき過失がなかつたとすれば、本事案の如き悲惨事は惹起しなかつたであろう。全く本件は被告等の重大なる過失に基因するものであつて、被告後藤は本件事故を発生せしめた直接の責任者として、又、被告会社は被告会社の使用者として夫々原告に対し賠償義務を負うこと勿論である。
四、原告は事故当時満六十歳で、妻シマヨ五十五歳、長男三十三歳二男三十歳、長女十九歳、三男十六歳及び長男の妻、孫の八人家族であり、印刷機械操縦工として毎月金二万三千五百十一円宛の収入があるところ、前記重傷の結果治療中就労出来ず、且つ斯かる不具の身体を以つては今後就労の道なく、全く収入の道を断たれるに至つた。原告が将来就労し得べきであつた残余稼動年数は四年十ケ月(内閣統計局調査に基く)であるから計金百三十七万五千円の収入を取得することが出来、之をホフマン式に換算すると金百十万円となる。この収入を被告等の過失に基き原告は悉く喪失するに至つたもので、被告等に於て之が賠償をなす可き義務が存在する。
又、原告は治療費、入院費、看護費として合計金十九万六千円を支出して之が損害を蒙つた。
尚、原告は斯かる重傷を蒙り、将来治癒の見込み全くなく、老後の余生は実に暗たんたるもので精神的な衝撃は実に甚大なものがある。従つて、之に対する慰藉料として金三十万円を相当とすべく、以上合計金百五十九万六千円は被告等に於て支払う可き義務が存する。
よつて、之が支払を求めるため本訴に及ぶ。
と陳述し、右主張に反する被告等の主張を否認した。(立証省略)
被告等訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁並びに抗弁として、
一、請求の原因第一項の内、被告会社が旅客運送を業とすること、被告後藤が被告会社の営業用乗用車の運転手として雇傭されていることを認める。その余の事実は不知。
二、同第二項の内、原告主張の日時(但し、時刻の点は争う)場所に於て被告後藤の運転する被告会社所有の小型乗用車四輪自動車大五い三二七五号がその前部を原告に接触せしめて道路上に転倒させたことを認めるが、その余の事実は不知。
三、同第三、四項の事実は否認する。
四、被告後藤に過失のあつたことを否認する。
即ち、同被告は昭和三十二年八月一日午後十時頃前記小型乗用自動車を運転して幅員約十六メートルのアスフアルト舗装道路(通称梅田海老江線)を西方より東方に向つて進行し、大阪市福島区鷺洲本通一丁目四十九番地先道路との交叉点にさしかかつた際に、対面して進行して来る自動車を認めたので前照灯を減光し速度を減じて進行を続けた。その時同被告の自動車の右側を追い越して行く自動車があつたので、之に注意し乍ら交叉点を渡り切ろうとしたが、対面して来る自動車の前照灯に眩惑されたため一瞬視覚を失い、視力が回復したときは既に原告が約五メートル前方に飛出して来ていたのである。それで急ブレーキをかけたが及ばず、自己の自動車の前部を原告に接触せしめたのである。
かように、同被告は自動車運転手としてなすべき処置、即ち対面車を認めたので減光、減速し、追越車に注意し、且つ前方を注視して進行する等の注意義務を尽しているのであつて何等の不注意も認められない。ただ眩惑のため一瞬視覚を失つてはいるが、これは不可抗力な障害であると言わなければならない。
五、仮に、被告後藤に過失があつたとしても、本件事故発生につき原告にも過失があるから被告等は過失相殺を主張する。事故発生現場は交通頻繁であり、信号灯もなく、然も時刻が夜間であるから、かかる道路を横断する際には左右をよく注意して横断すべきであるのに原告は酒気を帯びて充分な注意を尽さず、漫然と横断したため本件の事故が発生したのである。
六、次に、被告会社は被告後藤の選任監督につき相当の注意をなしその点につき過失のないことを主張する。被告会社は被告後藤を雇傭するに当り、同被告が小型乗用自動車の運転免許証を取得していることを調査の上、人物、性格等をも審査しているから、選任監督につき相当の注意をしていると言わなければならない。
と陳述した。(立証省略)
理由
被告会社が旅客運送を業とすること、被告後藤が被告会社の営業用乗用車の運転手として雇傭されていること及び昭和三十二年八月一日夜大阪市福島区鷺洲本通り一丁目四十九番地先十字路附近に於て、被告後藤の運転する被告会社所有の小型乗用四輪自動車大五い三二七五号がその前部を原告に接触せしめて道路上に転倒させたことは、何れも各当事者間に争がない。
よつて案ずるに、成立に争なき甲第一号証、同第二乃至第十九号証及び証人井形イセノ、同村瀬清信、同村瀬辰雄の各証言を綜合すると、被告後藤は昭和三十二年八月一日午後十時頃被告会社所有の前記営業用自動車を運転して大阪市福島区鷺洲本通一丁目四十九番地道路の左側車道を時速三十五粁で東進し、南北に通ずる道路との交叉路手前に差しかかつたこと、同所は東西に通ずる幅員約二十五米の通称梅田海老江線と、南北に通ずる幅員約十七米の道路と交る交叉点であり、被告後藤の操縦する自動車が進行する梅田海老江線は道路の中央に幅員約十六米の車道と更にその両側に車道より約十糎高く幅員約四、五米の各歩道が設けられ、車道はコンクリートで舗装されており、南北に通ずる道路は幅員約八米の車道と更にその両側に車道より約十糎高く幅員約四、五米の各歩道が設けられ、車道はアスフアルトで舗装され、梅田海老江線及び南北に通ずる道路の双方共何れも平担であり、同所は交叉点ではあるが交通整理信号機や横断歩道等の設備はなく、当時天候は晴天で路面乾燥し、車馬の交通は比較的閑散で、夜間ではあるが附近の螢光灯及び月光のため稍々明るく、近辺に交通を妨げるような障害物が存在しなかつたこと、同所の左側車道に差しかかつた被告後藤は、数十米前方に対面自動車を求めて前照灯を減光して進行したが、その時右側を追い越して行く自動車があつたので之に気を奪われて一時前方注視を欠き、次で対面車の前照灯の照射を受けて眩惑されたまま時速約三十粁に減速したのみで漫然として進行したため、原告(当六十一年)が進路前方を右側より左側へ歩行横断しているのを約五米の至近距離に近接して始めて発見し、急停車の措置を執つたが及ばず、車体前面を原告に激突させて同人を転倒せしめ、因つて同人に対し治療約一年七ケ月を要する脳震盪症、骨盤骨折、左腓骨々折、右臀部打撲傷、左膝部打撲傷、左前腕部擦過傷及び左側頭部打撲傷等の傷害を負わしめたことが夫々認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
そこで、右の事実に基き前記事故の発生が被告後藤の過失に基くか否かについて検討するに、前記梅田海老江線の十字路附近は幅員が広く、当時疾走車輛は比較的少量であり、且つ前方の見透しも良好な地点であるから、若しも被告後藤が、前方の注視に専心すると共に非常の場合に制動及び方向転換を機敏に執り得るよう充分の注意を払つて運転に従事し、特に対面車の前照灯によつて眩惑を受けた場合一時停車して視力の恢復に努める等自動車運転者としての注意義務を忠実に履行したならば、本件事故の発生を未然に防止し得たであろうことを充分に期待出来るので、本件事故は被告後藤の前記注意義務の違反に基因するものと断ずる外はない。之に反して被告等は、被告後藤が自動車運転者としてなすべき注意義務を尽しており、特に前照灯によつて眩惑を受け一時視力を失つたことは不可抗力的な障害であるから同被告に過失がないと主張するが、到底採用することが出来ない。一方、本件事故発生の現場は信号灯もなく、然も夜間であるから、かかる場合車道を横断せんとする者は絶えず自己の左右、殊に車道の左側を疾走してくる自動車、オートバイ等の有無状況を注視して災害を未然に避止し、以つて自他の交通を安全ならしめる義務があるものと言うべく、従つて、原告が比較的車輛の交通量少なく見透しの良い車道を横断するに際し、車道の左側を疾走してくる被告後藤操縦の自動車を早期に発見して之を退避することが出来なかつたのは、原告にもまた過失があると言わなければならない。そして該過失は加害者側の過失に比較すれば軽微であると認められるが、損害額の算定に当つて斟酌されなければならないと考えるのが相当である。
次に、被告会社と被告後藤とが民法第七百十五条に言う「使用者と被用者」の関係にあり、被告後藤の前記自動車の操縦行為が同条に言う「使用者の事業の執行」に属することは、前説示によつて明らかであると言うべきところ、被告会社は、被告後藤の選任監督につき相当の注意をなしたので同法条による使用者の責任を免かれるべきであると抗争する。然し、被告会社の如く自動車を用いて乗客の運送を業とする者は、その事業の性質上被用者の選任監督につき特に高度の注意義務を要求されるものと言うべくその結果、被用者が自動車運転免許証を有しているというだけではその選任に過失なしと言いえないし、又、日常の業務の執行に際し被用者に対して概括的訓諭を与えるだけではその監督に過失なしと言うことも出来ない。本件に於ては、全立証を以つてしても未だ被告会社が右の如き高度な注意義務を履践したことを認め難く、却つて、成立に争なき甲第二十号証によれば、大阪陸運局による昭和三十二年度前期の特別監査に於て、被告会社が同陸運局より交通事故防止対策を樹立するよう厳重な警告を受けている事実が認められるので、被告会社の右抗弁は到底採用することが出来ない次第である。以上の如くであるとすると、被告後藤は自己の過失に基く不法行為責任として、被告会社は使用者責任として、夫々本件事故により原告に対して加えた損害を賠償すべき義務を免かれることが出来ない。
よつて進んで損害額について検討するに、
(一) 医療費、入院費、看護費等、
証人村瀬清信、同村瀬辰雄の各証言を綜合すると、原告は本件事故のため医療費として金十二万七千二十円、看護費として金九万七千二百円、病院への通院費として金五万八千六百六十五円、合計金二十八万二千八百八十五円を支出していることが認められる。弁論の全趣旨により成立を認め得る乙第一号証によると、被告会社が原告の入院費等金十八万三百八十五円を支払つていることが認められるが、証人村瀬清信の証言により被告会社支出の右金員は原告支出の前記医療費等と重複していないことが明らかである。そうだとすると、原告の内金十九万六千円の医療費等の請求は理由が有る。
(二) 将来得べかりし利益、
前顕甲第一号証、同第三、四号証、同第七号証、同第九号証の一乃至四、同第十二号証、証人村瀬辰雄の証言により成立を認め得る甲第二号証及び同証言並びに証人村瀬清信の証言を綜合すると、原告は明治二十九年六月十六日生れで本件事故による傷害を受けた当時満六十一年であり、当時大阪市天王寺区宰相山町一四九番地株式会社小林紙製品工業所に活字印刷機械操縦工兼職長として勤務して居り、月額平均金二万三千五百十一円の給与を受けていたこと、原告は本件事故による傷害を受けた直後より昭和三十二年末迄大阪市北区の済生会中津病院外科及び整形外科に入院して治療を受け、その後昭和三十三年三月末迄同病院に通院し、更に昭和三十三年四月四日頃より大阪市北区の財団法人田附興風会北野病院に於て精神症状に対する治療を受け、昭和三五年二月八日頃も尚同病院に通院して治療を受けていたこと、原告は以上のように長期間に亘り治療を受けたが、現在尚左膝関節の屈曲に障害を生じ、僅かに歩行し得る状態に回復したのみで日常の起居も単独では出来ない程度であり、且つ頭部強打のため脳神経系統にも障害を遺し、最早原告は将来何等の職業にも従事することが出来ず、その労働能力を全く喪失して了つたものであること及び原告は本件事故による負傷後勤務先より給与の支払を受けていない上に昭和三十三年八月九日を以つて解雇されたものであることが夫々認められ、他に之に反する証拠はない。而して、厚生省発表の第九回生命表によると原告の余命は十三、七年であるから、若し原告が本件の負傷を受けなかつたとすれば、特別の事情のない限り、尚六十五才に達する迄四年間は継続して就労することが出来たものと推定するのが妥当である。即ち、原告の職業、年令、職場に於ける地位その他諸般の事情を考慮して、原告の活動年令期を六十五才迄と認定する次第である。そうすると、原告は一ケ月平均金二万三千五百十一円宛として合計金百十二万八千五百二十八円の得べかりし収入を失つたことになり、之が本件不法行為につき被つた労働力喪失による財産上の損害と言うべきである。
そこで、之を年五分の割合による中間利息をホフマン式計算に従つて控除し、本件事故発生の日の金額にすると金九十四万四百四十円となる。
(三) 慰藉料
原告が本件事故に因つて甚大なる精神上の苦痛を被つたことは前認定の事実によつて明瞭なところである。その他、原告の年令、社会的地位、資産、負傷の程度、特に神経系統に後遺症が認められる点等本件に現われた諸般の事情を斟酌し、更に、被告会社が前認定の如く金十八万三百八十五円の入院費を支払つた点、証人村瀬清信の証言により被告会社が原告に対して金五万円の見舞金を送つてその慰藉に努めた点をも加味するときは原告の精神的苦痛は金二十万円を以つて慰藉されるのが相当であると思料される。
以上の通り、原告の蒙つた損害額は之を合わせると金百三十三万六千四百四十円となるが、前記の如く原告にも本件事故の発生につき過失が存在するので過失相殺によりその十分の一を減免すると、金百二十万二千七百九十六円がその損害額となる。果して然らば、被告等両名は原告に対し連帯して金百二十万二千七百九十六円及び被告会社は之に対する本訴状送達の翌日であること記録上明白な昭和三十三年四月二十二日より、被告後藤は之に対する本訴状送達の翌日であること記録上明白な昭和三十三年四月二十一日より、夫々完済に至る迄民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払義務が有る。
よつて、原告の本訴請求を右の限度に於て正当として認容し、その余を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条を、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を各適用して、主文の通り判決する。
(裁判官 石垣光雄)